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人々は銀行問題の深刻さに気づき、最終的に六○兆円もの公的資金の投入に賛成することになったのである。
なぜ二兎を追うことになるかと言うと、当時の邦銀はROE(自己資本利益率)やROA(総資産利益率)で見た資本効率の低さを世界中で叩かれていた。
N銀にとって、貸し渋りは正しい行動であり、例えば当時のT氏などは、銀行は資本を受け入れるのではなく、貸し出しをさらに減らすべきだと、資本投入に猛反発していた一人であった。
当時、ミクロでしか経済を見ていなかった人々は、ただでさえ低い邦銀のROEをさらに下げることになる資本投入は論外だと断言し、銀行経営者も含めて全員がT氏同様に、資本投入には反対していたのである。
実際、ミクロの経営改革に反するこの政府の資本投入策に、自ら進んで申請した銀行は、当然のことながら一行もなかった。
しかし、あの局面ですべての銀行が貸出先をさらにしぼり、高い収益が稼げるところだけに貸すというミクロで正しいことをやり続けていたら、マクロの日本経済全体がもたなくなっていたであろう。
ここにも大変深刻な「合成の誤謬」が発生していたのである。
だからこそ政府は銀行にお願いしてまで資本投入をし、貸し渋りを止めてもらわなければならなかったのである。
したがって、一方では経営改革に反する資本投入と貸し渋りの解消をお願いしておきながら、もう一方では厳しい経営改革を押し進める計画を出せというのは、最初から完全に矛盾していたのである。
の前提と法律に明記されているが、結局のところ、九八年と九九年の三月に投入された総額一○兆円弱の資本は、貸し渋り解消のみが目的であったと考えるべきで、不良債権処理に使ってもらってはいけなかったのである。
投入された資金が不良債権処理に使われていたら、貸し渋りはまったく解消される理由はなく、日本経済はそれこそ奈落の底に落ちていっただろう。
当時、金融監督庁が行ったヒアリングで、私を含む何人かの人たちが、貸し渋り解消と不良債権処理を含む経営改善を同時に要求することは自己矛盾であり、両方とも中途半端になりかねないと警告を発したのも、そのためであった。
その意味では、投入の最終段階になって、当局側がいろいろと条件をつけたことは矛盾だらけの欲張りの議論であって、当初から達成できるはずがなかったのである。
だからここにきて、当局が銀行の経営健全化計画の未達成にこだわって騒ぐのは無意味なことであり、もうそれは過去のこととして次の課題に移るべきなのだ。
次の課題とは、いうまでもなく不良債権の処理である。
ただ、不良債権が景気回復の制約要因になっていないなかで、他の政策目標を後回しにしてまでこれを優先する必要はない。
したがって、実際の処理は銀行の体力に合わせ、経済全体が安定を損なわないペースでやるべきである。
またどうしても不良債権は目障りということで、これを銀行の体力を上回ったペースで処理しようというのであれば、そのギャップは納税者が新たな資本投入という形で埋めなければならないことを覚悟すべきだろう。
また、ひとくちに不良債権処理と言っても、それがどのような形をとるのかがもっと議論されなければならない。
もしもここで言う不良債権処理が、破綻した借り手企業を清算して淘汰するということであれば、そこから発生する連鎖倒産や失業が、景気に与えるダメージは大変大きなものになろう。
しかも、景気が悪化すれば資産価格はさらに下がり、不良債権はさらに増えることになる。
K政権が盛んに改革の「痛み」を強調し、T経財相が一○万人規模で失業が増大する(民間シンクタンクではその一○倍の予測も出ているが)ことを認めているということは、彼らもこのような手法を想定しているものと思われる。
これは前述のように日本経済を大変危険な方向へ持って行くことになるだろう。
その一方で、同じ不良債権処理でもデット・エクイティ・スワップ(借り手企業への融資を借り手企業の株式に交換してしまう)や債権放棄という手法がある。
この場合は、景気に対するマイナスはほとんどなく、銀行側には損失が確定するが、借り手企業側は、これまで大きな負担であった借金が減らされたことで身軽になり、久々に前向きの行動がとれるようになる。
この場合は、むしろ景気にはプラスになる場合もあるだろう。
特に前述の目抜き通りの借り手の例で挙げたように、倒産した借り手を清算しても二束三文の価値にしかならない今の日本では、民間も政府も積極的にデット・エクイティ・スワップや債権放棄を推し進め、少しでも多くの企業が早く前向きの行動がとれるようにすべきだろう。
つまり、どうせ同じ金額の損失が銀行に発生するなら、経済全体を拡大均衡に持って行く形でその損失を出すべきで、ただでさえ縮小均衡に向かっている日本経済をさらに加速させるような淘汰・清算という方法はよほどの場合を除き、とるべきではないのである。
前述のように、アメリカが今の日本と同じ大きなシステムリスクをかかえた一九八二年の第一次中南米債務危機も、ブレイディ・ボンドという形の債権放棄で解消されたのである。
しかし、不良債権処理は借り手の清算ではなく、デット・エクイティ・スワップや債権放棄でやるべきだと言うと、必ず出てくる反論がある。
それは、「本来ならとっくに淘汰されていなければいけない企業が銀行の債権放棄で生き残り、彼らとの過当競争が優良企業の収益を抑え、経済全体を脆弱なものにしている」という反論である。
そして、この点については、海外の評論家に加え、多数の国内の企業経営者も「その通りだ」と賛同する。
しかし、これはあくまで一企業経営者という「ミクロ」の話であって、マクロ的にはまったく別の視点が必要となる。
というのは、多くの企業経営者は、問題のA社が消えても、総需要は変わらず、したがってA社が以前とっていた仕事は、残った企業間で分け合うことができるという前提で考える。
しかし、今の日本のように企業が一斉に借金返済に回り、総需要が決定的に不足している経済では、どの産業も恐らく二〜三割の過剰供給になっている。
これらをどんどん淘汰していつ当競争に入ると、利ざやが圧縮され、金融システム全体が脆弱化してしまうので、そのような過当競争に火をつけかねない自己資本が激減した銀行は、退場させるべきというアドバイスだった。
これはミクロで見ればまったくその通りだろう。
今生き残っている企業経営者にとって、競争相手が減ってくれることほどうれしいことはない。
特に需要の少ない今、「あいつがいなければ残った我々で充分食べていけるのに、あいつが生き残っているおかげで我々も全員ひどい目に遭わされている」と思っている経営者の数は、全国で数十万人に上るかもしれない。
そして、みんな自分と自分たちの仲間以外は淘汰されてほしいと思っているのである。
たら、何よりも先に経済全体が二〜三割分縮んでしまうのである。
問題のA社は、同社の業界では過当競争の一因と見られていても、そのA社が存続していることによって発生している需要総額は、(その会社が閉鎖され、その従業員が解雇された状態に比べ)大きな景気下支え要因になっているからである。
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